岡潔先生「純粋日本人の再建」 真に国を愛するということはどういうことか②

「純粋日本人の再建」 真に国を愛するということはどういうことか

岡潔先生 経済往来 昭和44年1月号からの抜粋です。


真我とはどういうことか


 しかるに、誰もがそのことを、「愛国」ということを言わない。およそこの国の人たちは、国を作り、国を固めるということがどんなに大事なことであるかということを、まったく知らないか忘れてしまったらしいのです。悲しむべきことです。が、いずれにせよこのように、「愛国」をなぜ言わなくなったのだろうか、ということが第一の問題点に挙げられましょう。


 それから次に、これまた戦後、教育というものがずいぶん偏った、おかしなふうになったということです。ちょうどよい機会に、教育とはどういうものか、教育の基本原理を、この際あらためて充分に検討してみる必要があるのではないかと思います。そして第三に、当面の問題として、こうした言わば堤が切れて、完全に浸水したこの学生の現状を、どう処置するかということです。こまかく言えば、まだあるでしょうが、それではきりがありませんから、一応以上述べた三点について、これから順に話を進めていきたいと思います。

 まず「愛国」ということですが、その前に日本の歴史に、もし明治維新というものがなかったということを仮定してみましょう。多分、日本はそのとき滅びていたに違いありません。滅びるとまでいかなくても、どこかの属国になっていたに相違ありません。維新という出来事は、歴史の中でそれほど重要な意味を持っているのです。


 さて、その維新ですが、これはどうして成就したかと言いますと、周知のとおり、勤皇の志士たちが成したわけですが、その志士とはどういう人たちかというと、自分たちの身辺のことより、日本の国のことの方がはるかに強く心配になった人たちのことです。志士たちは明らかに大我、即ち真我に目覚めた人たちだったのです。なぜそういうことができたかと言いますと、この時期に民族精神が非常に高揚したのです。さながら葦牙が萌え騰がるように、内から下から民族精神がいたるところで炎となったのです。そうして世の中のチリ、芥を焼き尽くし、人々の無明を取り去り、世の中の一切の濁りを押し流してしまったのです。最近、テレビで司馬遼太郎氏の坂本龍馬が茶の間で人気を集めていますが、その龍馬もこうした志士たちの一人でした。自分のことより国のことの方がずっと大事だったのです。


 ところがいったん明治維新ができてみますと、再び濁ってきた。明治九年の神風連の乱、明治十年の西南の役あたりまでは、まだまだ志士というものが残っていましたが、その後になるとほとんどいなくなってしまいました。 これはなぜでしょうか。


 これはなぜかと言いますと、ご存知のとおり、西洋から個人主義というものが入ってきたわけです。個人主義というのは、ここで言う個人主義というのは、五尺の体が自分だと思うのが個人主義です。これは仏教で言うところの自己本位の小我のことです。が、言うまでもなく小我を自分と思うのは迷いです。小我を自分としか思えないで、そのために限りなく迷いを重ねる人を凡夫というのです。


 しかし、迷いがとれて、真我を自分と知るのが悟りなのです。真我とはその中に自然を浮かべ、人の世を浮かべて、まさに時空を超越した悠々たる心をいうのです。つまり時間的、空間的に際限なく広がっている観世音菩薩の心のことです。仏教ではだいたい心を九層に分けておりますが、七識、八識、九識と、心の奥底がその第九識で、これが姿に現れない生命それ自体であって、先に話しした真我の心のことなのです。


次回に続きます。


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by takuyahamaguchi | 2016-01-23 11:32 | 日々のあれこれ | Comments(0)

浜口卓也 1980年高知市生まれ。高知学芸高卒、早大卒。一般社団法人フューチャーデザインと創造的教育協会 事務局長。ピグマリオンノブレス高知教室代表。高知市議会議員2期。


by 浜口卓也