東日本大震災から一年が経過した。被災地では復興という希望が少しずつ見え始めたが、未だにほとんど手つかずの場所がある。福島第1原子力発電所から20km圏内に位置する地域である。龍馬プロジェクト東北ブロック長である山形県酒田市議会議員、佐藤丈晴氏の呼びかけにより今回の視察が行われた。「一度、福島第1原発の20km圏内を見に来てほしい。現実を見に来てほしい。」という懇願からだった。
私も高知に暮らし、四国には伊方原子力発電所があり、地震と津波の甚大な被害が予想されていることから福島県への視察に参加させていただいた。
福島駅からマイクロバスで浪江町へ向かった。私たちの乗車したバスの車内の放射線量は0.3μSv/h。通過する全村避難中の飯舘村では0.63μSv/h。飯舘村は、田畑の広がる農村地帯だった。「飯舘牛」という看板もあったが現在はその姿も寂しく映る。一次産業は出荷停止されている。そして南相馬市原町区へ到着。多くの仮設住宅の建ち並ぶ近くの道の駅にて元南相馬市職員の方が案内のため乗車。いよいよ20km圏内である南相馬市小高区へ。福島県警の厳重な警戒態勢が敷かれていた。ものものしい雰囲気の中車両のチェックを受け無事通過し、我々がまず向かったのが双葉警察署浪江分庁舎。物静かな庁舎に整然と任務に当たられている数名の警察官の方々が敬礼をもって迎え入れてくれた。
福島県警からの説明によると、福島県内の死亡者は1604名、行方不明者は214名。そして他県と比べ決定的に違うことは「放射能汚染されていること」だった。岩手県や宮城県では震災の翌日から捜索活動が開始されたが、福島は違った。警戒区域である20km圏内に位置する6町(南相馬市小高区、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町)では1ヶ月以上経過した4月14日からの捜索開始。はじめの一週間は目視により80名を発見。その後、重機を使い、ガレキや倒壊家屋を撤去しながらの捜索と移っていった。現在も尚、毎日沿岸部での捜索活動は続けられている。
1年前の現場での放射線量は2〜5μSv/hあったが、現在は0.3μSv/hまで下がっている。この数値は私たちが乗車したバスの放射線量と同じである。にもかかわらず、20km圏内は政府から警戒区域に指定され復興という言葉とはほど遠く被災後、ライフラインも崩壊したまま全く手つかずの状況である。2万1000人の住民は誰一人として住むことを許されず、3ヶ月に一度、2時間程度、一時帰宅を許されている程度である。別れ際に現場の警察官から「福島を忘れないでください。」との言葉があった。
放射線量の最も高い地区は南相馬市山側で5〜10μSv/h。ここは将来も閉鎖せざるを得ないのではないかとの展望だった。山形県では全くと言っていいほど被害はないとのこと。山脈があることがその理由だそうだ。高知でも伊方原発からは一応山を隔ててはいるが目に見えない被害や風評被害は免れないだろう。政府は国内の原発において全てを停止すると発表している。地震対策とエネルギー政策は別として考えるべきではないか。地震の被害とエネルギー問題が連動しない国づくりをしていかなければならない。


